Walk through Saga-cho

町の店と、
歴史の跡へ。

食べる場所、働く場所、祈る場所。いまの佐賀町から歴史をたどります。

佐賀一丁目・二丁目の間の道路(2012)/撮影: whityCC BY 2.0/表示上トリミング

Living town guide

観光地ではなく、
暮らしの町を歩く。

佐賀町の魅力は、史跡だけではありません。長く続く店、新しく町に加わった店、 仕事を支える事業所が同じ通りに並び、歴史の跡と現在の暮らしが重なっています。

店を目的地の一覧にせず、町を歩く途中で出会う風景として紹介します。 営業日時や提供内容は変わるため、来訪前に各店の最新案内をご確認ください。

7軒町で出会う店と仕事場
4地点町の記憶を伝える場所
一・二丁目暮らしの道を歩く

Town & shops

店先に、
町の今が見える。

米店、洋食、そば、インド料理、中華料理、魚を掲げる店、自動車整備。 それぞれの店先が、佐賀町で続く暮らしと仕事の幅を伝えます。

吉野商店の店先。

Rice shop

吉野商店

1903年創業。米の町・佐賀で、地域の食を支えてきた米店です。

レストラン パパスの入口とランチ案内。

Restaurant

レストラン パパス

1996年開店。入口のメニューと看板が、親しみやすい町の食事処を伝えます。

そば処 長寿庵の暖簾と店先。

Soba

長寿庵

そばの暖簾と出前の自転車が、住宅の並ぶ通りに昔ながらの表情を残します。

MKオートの整備工場。

Auto service

MKオート

車の整備を支える仕事場。飲食店だけではない、働く町の一面です。

インド料理店サンライズの青い看板と店先。

Indian restaurant

サンライズ

鮮やかな青い看板が目印のインド料理店。現在の町の食に新しい彩りを加えます。

中華料理 満鑫軒の店先。

Chinese restaurant

満鑫軒

通りの角に店を構える中華料理店。毎日の食事を支える、現在の町の顔です。

オレンジ色の外観が印象的なTEPPENの店先。

Fish shop

TEPPEN

魚を掲げるオレンジ色の店先。緑と看板が通りに軽やかな表情をつくります。

店舗写真(パパスを除く):撮影 タカさん/S-TEKT(2026年7月)。パパス:提供写真。 営業日時や提供内容は変わるため、来訪前に各店の最新案内をご確認ください。

A building remembered

建物は消えても、
物語は町に残る。

佐賀一丁目にあったコスガの社屋。印象的な外観は町の風景として親しまれ、 数々のテレビドラマで物語の舞台にもなりました。

佐賀一丁目にあったコスガ旧社屋。石造風の外壁と特徴的な正面意匠を持つ建物。 かつて
佐賀一丁目にあったコスガ旧社屋

写真: piplupMenさん(X投稿) より引用。現在、掲載許諾を確認中です。

Kosuga building

町の社屋が、ドラマの舞台になった。

コスガ旧社屋は、石造風の外壁と左右対称の正面が印象的な建物でした。 佐賀町の日常に溶け込んだ建物でありながら、その存在感からテレビドラマのロケ地としても活用されました。

マルモのおきて ドクターX 偽装不倫

町の建物が映像の中に残ることも、佐賀町の記憶を伝える一つの方法です。 以前の姿と現在地を並べることで、失われた建物の大きさや町並みの変化を感じられます。

作品例は複数のロケ地記録を参照しています。各作品の撮影協力クレジットは継続して確認しています。

コスガ旧社屋があった一帯の現在の様子。 現在
旧社屋があった一帯の現在/撮影:タカさん(2026年7月)

A lost landmark

入口のテラコッタが、
町の見納めになった。

佐賀町にあった村林ビル。関根要太郎氏設計、1928(昭和3)年竣工。 ずんぐりとしたロマネスク風の外観と入口のテラコッタが印象的で、 テレビドラマのロケ地としても親しまれました。

江東区佐賀町にあった村林ビル。角の曲線壁と入口上のテラコッタ装飾が特徴のレンガ造り。 かつて
村林ビル全景(見納め)
村林ビル入口上のテラコッタ装飾。六芒星の紋と周囲の彫刻。 かつて
入口のテラコッタ

Murabayashi building

レトロな角地が、ドラマの舞台になった。

村林ビルは、角の曲線壁とテラコッタが目を引く近代建築でした。 のちに佐賀町スタジオとしても使われ、レトロな外観からテレビドラマのロケ地として紹介されています。

バンビ~ノ! 家政夫のミタゾノ

2017年には解体の噂が流れ、翌年には解体が始まりました。 東京大空襲を逃れた建物の姿を、見納めに訪れた人が写真に残しています。 いま跡地には「佐賀町分署跡」の説明板が置かれ、往時の姿を伝えています。

作品例はロケ地記録と地域報道を参照しています。各作品の撮影協力クレジットは継続して確認しています。

※見納め写真は現在、掲載許可をいただいている最中です。
写真: 新川貴詩さん(X投稿) より引用。許諾確認中のため、画像クリックで出典先へ移動します。

村林ビル跡地に設置されている佐賀町分署跡の説明板。歴史写真と説明文が載せられている。 現在
跡地に設置されている「佐賀町分署跡」説明板/撮影:タカさん(2026年7月)

Ako Gishi · Chikuma Miso

赤穂浪士を迎え入れた、
ちくま味噌の記憶。

元禄元年(1688)創業の老舗味噌。永代橋際の乳熊屋が、 討ち入りを果たした義士たちを甘酒粥でもてなしたと石碑に残ります。

赤穂義士休息の地と刻まれた石碑。碑文にちくま味噌のもてなしが記されている。
「赤穂義士休息の地」石碑/撮影:タカさん(2026年7月)

Chikuma Miso

粥でねぎらった、永代橋際の味噌蔵。

ちくま味噌は、伊勢国乳熊郷(現・三重県松阪市付近)を故郷とする竹口作兵衛が、 元禄初年(1688)に深川・永代橋際で味噌醸造を始めたことに由来します。 「ちくま」は信州の千曲ではなく、郷名の乳熊(ちくま)から来ています。

石碑によると、赤穂四十七士の一人・大高源吾は俳人としても知られ、 ちくま味噌初代・竹口作兵衛(俳号・木導)と宝井其角門下の友でした。 元禄十五年十二月十四日、討ち入りを果たした義士たちが永代橋を渡り、 乳熊屋味噌店の上棟の日に立ち寄ると、作兵衛は一同を招き入れて甘酒粥を振る舞い、 労をねぎらったと記されています。大高は去り際に名残の書を残し、泉岳寺へ向かいました。

昭和三十八年(1963)九月、ちくま味噌により「赤穂義士休息の地」石碑が建立されました。 いま店の姿は変わっても、石碑が町の記憶を伝えています。

Historic traces

足元に残る、
四つの町の記憶。

神社、米穀取引、肥料の市場、消えた橋。 現地の建物や説明板と照らし合わせると、佐賀町の歴史が今の道につながります。

青い鳥居と木々に囲まれた佐賀稲荷神社。
佐賀稲荷神社/撮影:タカさん・S-TEKT(2026年7月)

Saga 2-chome

佐賀稲荷神社

佐賀二丁目の町の守り。力石や天水桶が伝わり、 商いと荷役の町で暮らした人びとの信仰を今に伝えます。

所在地佐賀二丁目4番8号
伝承寛永7年創建と伝えられるため、創建年は伝承として扱います。
食糧ビルディング跡地に設けられた説明板。
食糧ビルディング跡地の説明板/撮影:タカさん・S-TEKT(2026年7月)

Rice market history

深川正米市場跡

明治19年(1886年)、この一帯に公開の正米市場が開かれました。 米穀取引の記憶は、食糧ビルディング跡地の説明板とモニュメントに残ります。

所在地の目安佐賀一丁目8番13号
現在市場や食糧ビルは現存せず、説明板とモニュメントで歴史を伝えています。
干鰯場(元場)跡の史跡説明板。
干鰯場(元場)跡/撮影:タカさん・S-TEKT(2026年7月)

Registered historic site

干鰯場(元場)跡

江戸時代、干鰯などの肥料を扱う市場が置かれた記憶を伝える江東区登録史跡です。 米だけでなく、農業を支える肥料も水運で集まった町の広がりが見えます。

現地の手がかり江東区教育委員会の説明板で、商いと水運の関係を確認できます。
読み方「ほしかば(もとば)あと」。説明板の表記に合わせます。
上之橋の親柱と清澄排水機場。
上之橋の親柱と清澄排水機場/撮影:タカさん・S-TEKT(2026年7月)

Lost bridge

上之橋跡

かつて町を分ける水路に架かっていた橋。橋そのものは撤去されましたが、 親柱が残り、現在の道の下にあった水路の位置を伝えています。

所在地の目安佐賀二丁目1番付近
変化昭和59年(1984年)、排水機場整備に伴い撤去。親柱が保存されています。

Before walking

町の暮らしに、配慮して歩く。

営業情報を確認

店舗の営業時間・定休日・提供内容は変わります。来訪前に各店の最新案内をご確認ください。

撮影は現地表示に従う

店内、神社、住宅の近くでは、撮影可否と周囲の人のプライバシーを優先します。

史跡は現地で照合

「跡」は建物が残っているとは限りません。説明板や親柱を手がかりに、現在地と歴史を結びます。

店舗情報は変更される場合があります。最新情報は各店の案内をご確認ください。 史跡では現地の説明板を読み、周囲の暮らしに配慮してお歩きください。