Eitai Bridge · Saga-cho

永代橋

江戸の玄関から、帝都の門へ。
橋の姿をたどると、佐賀町の時間が見えてきます。

橋をたどる

Gateway of Saga-cho

この橋の東詰から、佐賀町がはじまります。

渡し舟に代わる木橋として架かり、日本橋と深川を結んだ永代橋。船、荷、人が行き交い、 佐賀町の蔵と商いを支えた玄関口でした。

木橋から鉄橋へ、そして震災復興の鋼アーチへ。姿を変えながら、いまも町と都心を結んでいます。

1698頃初代の木橋
1926現在の橋が完成
2007国重要文化財に指定

Four eras

四つの時代を渡る

先に全体像をつかんでから、橋が見てきた江戸の水辺へ降りていきます。

1698頃

渡しから木橋へ

深川の大渡しに代わり、日本橋と深川を結ぶ橋として架けられました。

1807

崩落の記憶

祭礼へ向かう人々が集中し、橋が崩落。大事故として伝えられています。

1897

鉄橋と移設

木橋から鉄のトラス橋へ。橋はほぼ現在の位置へ移りました。

1926

帝都の門

震災復興橋梁として現在の鋼アーチが完成。隅田川の新しい玄関となりました。

歌川広重が描いた夜の永代橋。橋脚の向こうに月が昇り、隅田川に帆船と漁の篝火が浮かぶ。
歌川広重「名所江戸百景 永代橋佃しま」(安政4年・1857)/国立国会図書館デジタルコレクションより

The bridge in Edo

橋の下に、江戸の暮らしが流れていた。

帆船が川を行き、橋の上を人々が渡る。広重が繰り返し描いた永代橋には、 水運でにぎわう深川の姿が残されています。

佐賀町側から見れば、ここは商いの品と人を迎える入口でした。橋だけでなく、 その下を行き交う船まで見ると、この町が「水の町」だったことが伝わります。

見るべきものは、橋だけではありません。水面の船と、東岸の町です。

1807

In remembrance

崩落のこと

文化4年(1807年)、富岡八幡宮の祭礼へ向かう多くの人々が橋に集中し、 永代橋が崩落しました。江戸時代を代表する大事故として伝えられています。

犠牲者の数は資料によって大きく異なるため、このページでは特定の数字を断定しません。 祭りと遭難の記憶に関わる章として、資料の掲載可否を確認しながら静かに扱います。

Iron to steel

橋は、町とともに架け替えられた。

明治の鉄橋化と、震災復興の鋼アーチ。橋の材料と位置が変わるたび、 佐賀町の玄関の景色も大きく変わりました。

明治45年頃の永代橋。三径間の鉄製トラス橋が隅田川に架かり、橋上を人々が行き交う。
明治45年(1912年)頃の旧永代橋 出典:国立国会図書館/Wikimedia Commons・Public Domain (資料ページ

1897

鉄橋へ、そして現在地へ

明治30年、木橋から鉄のトラス橋へ架け替えられました。このとき橋は、 初代の位置からほぼ現在の場所へ移ります。

1926

震災復興の鋼アーチ

関東大震災後の復興事業で現在の橋が完成。「帝都の門」と呼ばれた力強い姿は、 2007年に国の重要文化財へ指定されました。

Then & now

同じ水辺、違う橋。

江戸の木橋と、現在の鋼アーチ。約170年を隔てた二つの景色を並べると、 変わらない川の広さと、変わり続けた町の輪郭が見えてきます。

Edo period

歌川広重が描いた永代橋。橋の上を人々が行き交い、川面には帆船が並ぶ。
深川新地から望む木橋 歌川広重「東都名所 永代橋深川新地」(天保期)/国立国会図書館デジタルコレクションより

Today

青くライトアップされた現在の永代橋が、隅田川の水面に映る夜景。
水面に映る現在の鋼アーチ 現在の永代橋(1926年架橋)/Photo: Zengame, CC BY 2.0(Wikimedia Commons)

Walk from the bridge

次は、橋の東詰から町へ。

永代橋を渡ったら、そこが佐賀町の入口です。古地図で昔の水路を重ね、 深川祭が橋を渡る物語へ進んでください。