The story of Saga-cho
水の町が、
できるまで。
干潟から町へ。水運から文化へ。四百年の時間を、景色でたどります。
佐賀二丁目から望む隅田川(2012)/撮影: Hiroyuki Sato/ CC BY-SA 3.0/表示上トリミング
From tidal flat to town
海と川の間に、町が生まれた。
現在の佐賀地区一帯は、かつて遠浅の干潟でした。寛永6年(1629年)頃から 深川猟師町の開発が進み、藤左衛門町・次兵衛町を前身として町が形づくられます。
元禄8年(1695年)の検地後、地形が肥前国の佐賀湊に似ていたことから 「佐賀町」と呼ばれるようになったと伝えられています。
Fukagawa map · 1849–1862
町の骨格は、水路が描いた。
江戸後期の切絵図には、隅田川と堀に囲まれた深川の町が描かれています。 佐賀町の位置や水路の広がりを、現在の道路と見比べるための確かな入口です。
川が道だった時代
荷は舟で届き、河岸で揚げられ、蔵へ運ばれました。 水辺の形そのものが、佐賀町の仕事と暮らしを決めていました。
上・中・下佐賀町の正確な境界は調査中です。 古地図に推定線を描かず、確認できた町名と水路だけを案内します。
古地図ページで原図を見る
水の町、蔵の町。
隅田川、仙台堀、油堀、小名木川へ続く水網に囲まれ、 米・材木・酒・味噌・肥料を扱う問屋、蔵、船宿が並びました。
川側に河岸と蔵、内側に表店。舟と人足が行き交う風景が、 江戸有数の物流拠点としての佐賀町を育てました。
米が集まり、力が文化になった。
明治19年(1886年)、佐賀町に公開の正米市場が開かれ、米問屋が集まりました。 俵や樽を扱う仲仕たちの力と技は、やがて「深川の力持」という芸能へ育ちます。
佐賀町の物語では、仕事、芸能、祭を別々にせず、 水運の町で生まれた一続きの文化としてたどります。
Timeline
町をつないだ八つの節目。
- 1629頃深川猟師町の開発が始まる
- 1695検地後、佐賀町の名が生まれる
- 1698頃初代永代橋が架けられる
- 1807富岡八幡宮祭礼の日、永代橋で大事故
- 1886公開の深川正米市場が開かれる
- 1926震災復興事業で現在の永代橋が完成
- 1931区画整理で町界と丁目が再編される
- 1969住居表示により佐賀一丁目・二丁目へ
Next story
次は、町の玄関口へ。
佐賀町の時間を見守ってきた永代橋を、木橋から現在の鋼アーチまでたどります。