Old maps · Present streets

道の下に、
水路がある。

一枚の絵図から、いまの佐賀町に残る水の輪郭を読みます。

永代橋の歩行者入口から望む現在の橋/撮影:タカさん・S-TEKT(2026年7月)

How to read

古地図は、
町の記憶の入口。

江戸の切絵図に描かれたのは、町名だけではありません。川、堀、河岸、蔵、寺社。 水運を中心にできた佐賀町の暮らしが、色と線で残されています。

ただし、古地図は現代の測量図ではありません。このページでは原図を歴史資料として見せ、 現在地との対応が確認できた場所と、調査中の場所を分けて案内します。

嘉永〜文久刊行年代
水色川・堀・水面
3区分事実・通説・調査中

Fukagawa map · 1849–1862

尾張屋版「深川絵図」

深川一帯を一枚で見渡す切絵図です。隅田川へ向かって延びる堀と、 その間を埋める町割りから、水運の町の骨格が見えてきます。

嘉永2年から文久2年頃に刊行された尾張屋版深川絵図。川や堀が青、町割りが黄や白で描かれている。
景山致恭・戸松昌訓・井山能知 編「深川絵図」嘉永2〜文久2年刊/ 国立国会図書館デジタルコレクション/ 保護期間満了・Public Domain Mark。原図は現代地図の北上固定・均一縮尺ではありません。

Verified landmarks

まず、確かな場所から。

現在地を案内できる場所を起点に、古地図の水路と町の暮らしを結びます。

事実

永代橋

隅田川に架かる町の西の玄関。1698年の木橋から、1926年竣工の現在橋へ。

事実

油堀跡

佐賀一丁目と二丁目の間を東西に流れた旧水路。現在は首都高速9号線の筋に重なります。

事実

深川正米市場跡

1886年開設。米穀取引と倉庫の町だった佐賀町を伝える場所です。

伝承を併記

佐賀稲荷神社

佐賀二丁目の町の守り。創建年代は町に伝わる説として紹介します。

事実

上之橋跡・清川橋

仙台堀の水辺に橋の記憶が残ります。撤去された上之橋は親柱が保存されています。

位置調査中

八戸前・稲荷小路

町に伝わる通称。根拠資料と位置が確定するまで、地図上のピンは置きません。

跡地は看板だけを切り取らず、いまの町の景色ごと示します。写真を押すと、現地の看板とその文面を読めます。

永代橋の歩行者入口から望む水色のアーチ橋と周囲の建物。
永代橋のいま/撮影:タカさん・S-TEKT(2026年7月)

上・中・下佐賀町の境界や旧巡行経路は、史料照合が完了するまで線で描きません。 古地図上の町名と現在の丁目を、見た目だけで一致させないためです。

観光高札「油堀跡」の看板全面。
観光高札「油堀跡」/撮影:タカさん・S-TEKT(2026年7月)

現地の看板

油堀跡

観光高札の文面(書き起こし)

油堀は、隅田川から富岡八幡宮の裏手を通り木場へ通じる水路でした。 寛永十八年(一六四一)に深川最初の木場(元木場)が置かれた頃から存在し、 元禄十二年(一六九九)に拡幅されました。

緑橋付近に油問屋や油蔵が並んでいたことから「油堀」と呼ばれ、 材木・油・干鰯などの舟運に使われました。 富岡橋付近の稲荷ずし屋台や、歌舞伎の舞台となった閻魔堂橋でも知られます。

挿絵:「菓子話船橋」国立国会図書館デジタルコレクション/設置:江東区

文面は現地説明板の書き起こしです。読み取り差がある場合は看板写真を優先してください。

江東区の説明板「上之橋」の看板全面。
説明板「上之橋」/撮影:タカさん・S-TEKT(2026年7月)

現地の看板

上之橋

説明板の文面(書き起こし)

上之橋は、江戸時代から仙台堀の佐賀町河岸通りに架かる橋として大きな役割を果たしてきました。 中之橋・下之橋とともに、佐賀町を上佐賀・中佐賀・下佐賀に分ける橋でもありました。

本橋は昭和五年(一九三〇)の震災復興事業により架設され、 昭和五十九年、清澄排水機場建設に伴い撤去されました。 ここに橋名を刻んだ親柱を保存し、橋の歴史をとどめています。

側面図/型式:一径間鋼製アーチ橋/径間:三二・七メートル/幅員:一一・〇メートル

昭和六十一年一月 江東区

文面は現地説明板の書き起こしです。読み取り差がある場合は看板写真を優先してください。

Present landscape

水路は消えても、
町の向きは残る。

堀が道路や高速道路に変わっても、街区の長さ、橋の位置、川へ向かう道に、 かつての水運の骨格が残っています。

永代橋付近から望む隅田川。対岸の建物と遠くのスカイツリーが見える。
永代橋付近から望む隅田川/撮影:タカさん・S-TEKT(2026年7月)

次は古地図を頭に置き、永代橋から佐賀二丁目まで歩いて確かめます。