Layers · Edo to modern

まちの記憶

富岡は八幡さまだけではない。数矢町、三十三間堂、橋と水路の痕跡を読む。

数矢町から読む

戦前期の富岡八幡宮内部/CC0 原資料・ライセンス ↗

Kazuya-cho

「数矢」という旧町名が、
弓の音を残している。

江東区によれば、富岡は富岡門前町と数矢町などを合わせて成立しました。数矢町の名は、浅草から移された三十三間堂で遠矢の数を競ったことに由来します。

33

深川三十三間堂

現在の富岡二丁目付近に跡が登録されています。現地では、かつての堂の規模を想像しながら町名の層を確かめます。

江東区「三十三間堂跡」↗

Water and iron

水路の跡に、明治の鉄橋が残る。

富岡八幡宮の東側には八幡橋(旧弾正橋)があります。1878年に現在の中央区で架けられ、震災復興事業に伴い1929年に現在地へ移されました。富岡の歴史は、信仰と祭礼だけでなく、水路と近代土木にもつながります。

橋の名称・年代・文化財指定は江東区文化財情報に基づき、現地説明板との照合を継続します。

Old and present

一丁目と二丁目を、混ぜずに歩く。

一丁目

宮元と門前

富岡八幡宮、永代寺、表参道。宮元の現在を読む。

二丁目

数矢町と町神輿

三十三間堂跡と旧町名、富二會が支える町神輿。歴史と現在をつなぐ。

境界

水路と街路

八幡堀遊歩道や現在の道から、町の輪郭を確かめる。