Town story · 1952 → Now

この町を、
都電が走っていた。

1952年、門前仲町二丁目の交差点には都電23系統の停留所がありました。地下鉄駅前の現在景から、震災、戦災、復興を越えた町の時間をさかのぼります。

街路を走る都電38系統と信号待ちする自動車
都電38系統(門前仲町23系統の実景ではありません) 提供写真・掲載許諾済み

One intersection, many eras

駅前だけで、
四つの時代が重なる。

町名が生まれ、空襲をくぐり、路面電車が走り、地下鉄が開く。普段通る交差点は、門前仲町の近現代史を一度に見られる場所です。

1931

町名が生まれる

三つの旧町の時間が「門前仲町」へ。

1945

戦災をくぐる

深川一帯が被災。残った建物は役割を変えます。

1952

都電が走る

交差点に23系統の停留所が記録されます。

1967

地下鉄が開く

東西線の開業で、町の移動は地下へ。

Before 1931

一つの町名ではなかった。

現在の門前仲町は、黒江町、門前山本町、蛤町の一部を合わせて1931年に成立しました。「門前」は富岡八幡宮の別当寺だった旧永代寺の門前町屋に由来します。

地図に残る旧町名は、町が突然始まったのではなく、異なる暮らしの積み重ねが一つの名になったことを教えます。

1862年刊行の本所深川絵図
本所深川絵図(1862年) 早稲田大学図書館/Public Domain

Streetcar memory

福神橋 ─ 門前仲町 ─ 月島

道路の真ん中が、
町の足だった。

都電23系統は福神橋と月島を結びました。1952年1月、門前仲町2-3付近から北を写した古写真には、門前仲町停留所とみられる表示が残っています。

古写真は転載許諾前のため、ここでは画像を掲載せず、江東区資料で確認できる撮影年・地点・系統を伝えています。江東区「寄贈資料紹介」↗

丸窓が並ぶ旧東京市深川食堂、現在の深川東京モダン館の外観
旧東京市深川食堂(現・深川東京モダン館) 写真:Suikotei/CC BY-SA 4.0

Survived, then served

焼け残った建物は、
仕事と暮らしを支えた。

震災復興計画で1932年に竣工した東京市深川食堂は、東京大空襲で被災しながら全焼を免れました。戦後は部分修復され、職業斡旋、授産、福祉の施設へ。

「残った」だけではありません。町が必要とする役割へ何度も変わり、2006年まで使われ続けました。現在は深川東京モダン館として、地域の歴史と文化を伝えています。

Life returns · 1953

復興は、建物だけではない。

1953年7月、現在の臨海公園付近で盆踊りが行われました。櫓から吊るされた照明が夜を照らす一枚は、人が集まり、町の日常を取り戻していく時間を伝えます。

食事の場が仕事の場へ変わり、夜には人が輪になって踊る。復興は、暮らしの役割と楽しみが町へ戻ることでした。

盆踊りの古写真も転載許諾前のため、画像は掲載していません。撮影年・場所は江東区「寄贈資料紹介」で確認しています。

From rails to subway

線路は消えても、
町の中心は動き続ける。

1967

東西線・門前仲町駅が開業

地上を走る都電と並ぶように、新しい交通が地下へ通ります。

1972

都電23系統が廃止

12月11日、福神橋と月島を結んだ路面電車が役目を終えます。

2000

大江戸線・門前仲町駅が開業

二つの地下鉄が交差し、駅前は再び人の流れを広げます。

現在

道路そのものが、歴史の入口

都電の停留所があった交差点、復興建築、旧町の道筋。歩けば、消えたものと残ったものを同時に想像できます。

Look again

いつもの道が、
百年分の資料館になる。

古写真と現在景を重ねてから歩くと、駅前はただの乗換地点ではなくなります。次は、旧黒江町から全国測量へ出た伊能忠敬の足跡をたどります。