土手と掘割
1701年の買い請け後、自費で土手と堀を整備。材木を浮かべて蓄えました。

Engineered shore
深川木場町は、四方を堀に囲まれた造成地として記録されます。汽水の利便、延焼対策、水運——材木の町は水辺の設計そのものでした。
1701年の買い請け後、自費で土手と堀を整備。材木を浮かべて蓄えました。
東は平野川、西は仙台堀川。町を縁取る水路として機能しました。
その前の木置場は佐賀・福住付近。1701年に現在の木場へ移ります。
Historic bridges
文政町方書などによれば、深川木場町には亀井橋、江島橋などが架かれ、洲崎や扇町方面へつながっていました。現存・廃止年は区道橋一覧と照合中です。
橋の構造や架橋年を、一次資料なしに断定しません。


Lost waterway
江東区登録史跡「油堀跡」の所在地は木場3-19から佐賀2-1ほか。木場の水路史を読む補助線ですが、全体を木場町内の史跡とは表現しません。
現地では高速道路、公園、街路の連続を観察し、失われた水路を想像できる地点を地域監修後に選びます。
Edges of town
仙台堀川では清澄橋が清澄と結び、平野川では東側の平野・牡丹方面へ続きます。材木は、この水辺網を使って届けられました。
西側の縁。清澄白河、清澄橋方面へ。現在も散策路として知られます。
東側の縁。平野、東陽方面へ。埋立後も地形の記憶として残ります。
南・中・北の3地区を結ぶ現代の橋。公園は町域をまたぎます。