河口の洲
埋立前後の正確な範囲と年代は追加調査中です。

現在の福住の街路(タカさん撮影)
Before the name
江東区公式資料は、この地が隅田川河口の洲で、江戸時代に埋め立てられたと伝えます。網打場、石置場、材木置場などが置かれ、しだいに町場へ発展しました。
埋立前後の正確な範囲と年代は追加調査中です。
1641年以降、日本橋付近の木置場が佐賀・福住付近へ移されました。
元木場は1701年に再移転。旧町ごとの形成史は資料照合を続けます。
Chronology
河口の洲を埋め、網打場、石置場、材木置場などが置かれました。
日本橋付近から木置場が移り、元木場となりました。1699年に御用地となり、1701年に現在の木場公園周辺へ再移転しました。
東京都公文書館の第六大区沽券地図に、深川福住町、松村町、井沢町、一色町、黒江町などが記録されています。
一色・伊沢・松村・黒江・永堀・大住・東永代・材木の各町を合わせて福住と名づけられました。
福住一・二丁目固有の戦災と復興は調査中です。区全体の被害から推定しません。
深川福住太鼓が発足。地域行事へ音を届け、2023年に20周年を迎えたと報じられました。
Boundary note
渋沢栄一が住んだ旧深川福住町の本邸跡と福住稲荷は、現在の永代二丁目37番にあります。福住の歴史と深くつながる名ですが、現在の福住一・二丁目の町内施設とは表示しません。
町名の記憶と現在の住所を分けて読むことが、このサイトの基本です。
