建物と街路樹が続く現在の福住の通り

Story · 02

八つの町から、福住へ。

河口の洲を埋め、物を置き、人が住む。複数の旧町が重なって、1931年に福住という町名が生まれました。

現在の福住の街路(タカさん撮影)

Before the name

最初にあったのは、町名ではなく水辺だった。

江東区公式資料は、この地が隅田川河口の洲で、江戸時代に埋め立てられたと伝えます。網打場、石置場、材木置場などが置かれ、しだいに町場へ発展しました。

WATER

河口の洲

埋立前後の正確な範囲と年代は追加調査中です。

WORK

元木場になる

1641年以降、日本橋付近の木置場が佐賀・福住付近へ移されました。

TOWN

町場へ

元木場は1701年に再移転。旧町ごとの形成史は資料照合を続けます。

Chronology

旧町の名が重なり、現在の福住になる。

江戸期

埋立と町場の形成

河口の洲を埋め、網打場、石置場、材木置場などが置かれました。

1641–1701

佐賀・福住付近の元木場

日本橋付近から木置場が移り、元木場となりました。1699年に御用地となり、1701年に現在の木場公園周辺へ再移転しました。

1873

沽券地図の旧町

東京都公文書館の第六大区沽券地図に、深川福住町、松村町、井沢町、一色町、黒江町などが記録されています。

1931

福住の成立

一色・伊沢・松村・黒江・永堀・大住・東永代・材木の各町を合わせて福住と名づけられました。

戦中・戦後

資料を探している時代

福住一・二丁目固有の戦災と復興は調査中です。区全体の被害から推定しません。

2003–

町名を背負う太鼓

深川福住太鼓が発足。地域行事へ音を届け、2023年に20周年を迎えたと報じられました。

Boundary note

「深川福住町」と「福住」は、同じ範囲ではない。

渋沢栄一が住んだ旧深川福住町の本邸跡と福住稲荷は、現在の永代二丁目37番にあります。福住の歴史と深くつながる名ですが、現在の福住一・二丁目の町内施設とは表示しません。

町名の記憶と現在の住所を分けて読むことが、このサイトの基本です。

渋沢栄一宅跡の歴史案内板
江東区登録史跡「渋沢栄一宅跡」の案内板(タカさん撮影)現在地は永代二丁目で、現在の福住町域外です。