1930年頃、新大橋を渡る都電(車番1175)

江東リンク

チンチン電車は、
緑道になった。

亀戸・大島・砂町を結んだ専用軌道は、いま散歩道です。 城東電車から都電砂町線・小松川線へ——江東の足元に残る軌跡をたどります。

写真:『大東京写真帖』(1930頃)/Wikimedia Commons · PD · 新大橋を渡る都電

Why here

なぜ、江東に都電があったのか。

都心の市電と、郊外工場地帯へ伸びた私鉄軌道。江東の都電は、この二つが合流した物語です。

画像キャプションの「許諾掲載中」は権利区分であり、史実ラベルとは別です。

約193万人 史実最盛期の一日平均乗客(交通局。全区規模)
系統41 史実最盛期の系統数(交通局。全区規模)
1972-11-12 史実荒川線を除く都電が幕を閉じた日

史実都心の市電と郊外の私鉄

東京の路面電車は、明治期の東京電車鉄道などから市電網へ育ちました。一方、のちの江東区東部——大島・砂町方面——には、 城東電気軌道(通称・城東電車)が大正期に私鉄として軌道を伸ばしました。

表現調整中工場地帯と砂町・大島

大正〜昭和初期、深川〜砂町一帯は工場と住宅が広がる近郊でした。城東電車は、その需要に応える形で錦糸町側から小松川・砂町・洲崎方面へ線を伸ばした、と説明されることが多いです。因果を一つに断定はせず、地図と年表で跡を見ます。

史実1942年、市電へ。のち都電へ

城東の軌道は、再編を経て1942年(昭和17年)2月1日に東京市電気局へ買収・編入されます。都制施行後は東京都電車——いわゆる都電——の一部となりました。

軌道は消えても、幅だけは残る。
緑道を歩くとき、あなたの足はほぼ、昔の車輪の上にあります。

このページの問い——廃線を「喪失」だけで終わらせず、いま歩ける形で読む

では、江東固有の起点——市電ではなく私鉄だった時代——から入ります。

次へ:城東電車という前史

Joto Electric Tramway

城東電車という前史。

江東の都電を語るとき、起点は「市電」ではなく、しばしば城東電気軌道になります。

事実区分はページ冒頭の凡例に揃えています。

史実1917年12月30日、錦糸町〜小松川

城東電気軌道は、1917年(大正6年)12月30日に錦糸町〜小松川間で開業したとされます。 のちの都電小松川線の骨格です。

現地説明砂町支線と竪川の専用橋

水神森から大島・砂町方面へ南下する支線が開通し、竪川には専用軌道橋が架けられました。 現地説明板は、大正10年(1921年)1月の水神森〜大島開通に合わせて「竪川専用橋」が架設された、と伝えます。

調査中 Wikipedia「都電砂町線」は開業を1920年と記す箇所があります。本文では説明板の1921年を優先し、1920年表記は要照合とします。

史実洲崎・江戸川方面への広がり

砂町から洲崎方面、小松川から西荒川方面、東荒川から今井方面(主に江戸川区側)など、城東電車は放射状に伸びました。 1930年代後半の交通再編を経て、1942年に市電へ吸収されます。

1910年の東京市電車線路図
東京市電車線路図(1910)。城東電車開業前の都心市電網。 忠誠堂 / Wikimedia Commons · PD
1961年頃の都電路線図。錦糸堀・砂町・洲崎方面が描かれている
都電路線図(1961年頃)。最盛期に近い都電網。江東側の錦糸堀・砂町・洲崎・門前仲町周辺を俯瞰する材料に。 Hisagi / Wikimedia Commons · CC BY-SA 3.0
1935年の大東京交通図。城東方面の軌道が描かれている
大東京交通図(1935)。城東電車時代の路線網を俯瞰する。 帝國鐵道協會 / Wikimedia Commons · PD

前史が都電に溶けたあと、江東ではどの線がどの役割を担ったのか——系統の顔を見ます。

次へ:江東を走った路線と系統

Lines & routes

江東を走った路線と系統。

廃止直前の代表で見ると、砂町線・小松川線と、門前仲町〜洲崎側の接続が核になります。系統番号は時期で変わるため、「最終期の顔」として読みます。

砂町線

水神森〜東陽公園前(洲崎接続)。専用軌道が長く、廃線後は緑道の骨格になった区間です。

系統 29 · 38 廃止 1972-11-12

小松川線

錦糸堀〜亀戸〜水神森〜(西荒川方面)。水神森以東は1968年に先行廃止、残存区間は1972年まで。

系統 25 · 29 · 38 一部 1968 / 全廃 1972

洲崎線まわり

永代橋・門前仲町・洲崎・東陽公園前側。28・38系統などが都心と江東を結びました。終端は時期により短縮。

系統 28 · 38 等 廃止 1972-11-12

史実錦糸堀——江東側の拠点

錦糸堀は、小松川線・江東橋線側の結節として機能しました。29系統(須田町〜葛西橋)や38系統(日本橋/門前仲町〜砂町方面)など、系統の顔がここで入れ替わる場面も多かったとされます。 昭和初期の写真では、錦糸堀から深川の工場地帯を望む景観が残っています。

都電網の拡張と廃止の進展を示す図
都電網の進展図。砂町・小松川・洲崎線の位置づけを俯瞰する補助資料。 Stef.muc / Wikimedia Commons · CC BY-SA 3.0
1906年頃の東京の電車路線図
電車路線図(1906頃)。市電前史。永代橋〜門前仲町方面のルーツ説明用。 東京市電気局系 / Wikimedia · PD

線の骨格が分かったら、砂町線の停留所を北から南へ並べます。いまの地名への対応は調査中です。

次へ:停留所と現在地

Stops

停留所と、いまの足元。

砂町線(最終時点)の停留所一覧です。「いまの対応」列は現地照合前のため空欄または仮です。

停留所(最終時点) 区分 いまの対応(調査中)
水神森史実京葉道路×明治通り付近 · 要ピン
竪川通史実竪川北詰・緑道接続 · 要ピン
大島三丁目史実大島緑道沿い · 要ピン
大島一丁目史実小名木川付近 · 要ピン
北砂三丁目史実要ピン
北砂二丁目史実要ピン
境川史実仙台堀川付近 · 要ピン
南砂三丁目史実要ピン
第四砂町小学校史実要ピン
南砂二丁目史実要ピン
東陽公園前史実東陽町周辺 · 要ピン

調査中 1944年に整理された千葉街道口・大島(旧)などの電停は、最終時点リストから外しています。

停留所の列を頭に入れたうえで、年の流れを折りたたみ年表で追います。

次へ:年表で見る江東の都電

Timeline

年表で見る、江東の都電。

開業から緑道へ。時代ごとに開いて読めます。

1917–1942 · 城東電車から市電へ
  1. 1917-12-30

    史実城東電気軌道、錦糸町〜小松川開業。

  2. 1921-01頃

    現地説明水神森〜大島開通。竪川専用橋架設。開業年の異説(1920)は要照合。

  3. 1920年代後半〜

    史実砂町・洲崎・江戸川・西荒川方面へ延伸(区間により年次が異なる)。

  4. 1942-02-01

    史実東京市電気局が買収・市電編入。のち都電へ。

1945–1968 · 復興と縮小の始まり
  1. 1945〜1949頃

    現地説明空襲被害。説明板は昭和24年に区内全線再開、と伝える。

  2. 1952

    史実一之江線(26系統)がトロリーバス化(主に江戸川側)。

  3. 1968-09-29

    史実小松川線・水神森〜西荒川間廃止。

1972–2017 · 最終日、緑道、荒川線
  1. 1972-11-12

    史実第七次都電撤去。砂町線・小松川残存区間・洲崎線系など、荒川線を除く都電がこの日に幕を閉じる。

  2. 1975〜1979頃

    現地説明竪川橋を歩行者用へ。南北の軌道敷が緑道公園へ。

  3. 2011

    史実竪川人道橋撤去。モニュメントと説明板が残る。

  4. 2017-04

    史実荒川線の愛称「東京さくらトラム」(江東区外・対比)。

年の流れを押さえたら、残っている写真と、まだ足りない写真を見ます。

次へ:写真で見る時代と場所

Photographs

写真で見る、時代と場所。

江東区内の「運行中」写真は Commons 上に少なく、昭和の町並み・路線図・車両イメージで構成しています。 すべて

昭和の江東・隣接景観

1930年頃、錦糸堀から深川方面を望む
錦糸堀より深川方面(1930頃)。都電拠点・錦糸堀の周辺景観。 『大東京写真帖』 / Wikimedia · PD
1930年頃、隅田川の新大橋と市電
新大橋と市電(1930頃)。深川側へ続く都電網の入口景観。 『大東京写真帖』 / Wikimedia · PD

都電という乗り物の顔

1905年頃の東京の路面電車
東京の路面電車(1905頃)。江東固有ではない導入カット。 Wikimedia · PD
震災復興祝賀の花電車
花電車(震災復興祝賀)。都電文化の記憶。 Wikimedia · PD
1947年、憲法施行記念の花電車(銀座)
憲法施行記念の花電車(1947・銀座)。戦後の市電/都電。 Wikimedia · PD
保存されている都電7500形車両
都電7500形(保存車・池之端)。江東系統でも見られた標準車種のイメージ。撮影地は台東区。 Wikimedia · CC BY-SA 3.0
大島緑道公園。都電砂町線の専用軌道跡
大島緑道公園。都電砂町線(29・38系統)専用軌道跡。 オランウータン / Wikimedia Commons · CC BY 3.0
1930年頃の錦糸町駅・江東橋付近
錦糸町駅・江東橋付近(1930頃)。都電江東橋線周辺の景観。 『大東京写真帖』 / Wikimedia · PD
1904年頃の東京の路面電車
東京の路面電車(1904頃)。江東固有ではない導入カット。 Library of Congress / Wikimedia · PD
荒川線を走る都電7000形(江東区外)
荒川線の7000形(江東区外)。現存都電との対比用。 Wikimedia · CC BY-SA 2.0
都電のビューゲル(集電装置)
ビューゲル(集電装置)。モニュメント解説の技術補足。 Wikimedia · CC BY-SA 3.0
昭和初期の両国国技館と都電周辺
両国国技館と都電周辺(昭和初期)。江東・墨田境界の景観補足。 Wikimedia · PD
亀戸緑道・南砂緑道の追加写真を準備中
交通局アーカイブの運行写真は貸出申請後に掲載予定

写真の空白は、遺構の現場で埋めます。緑道と説明板へ進みます。

次へ:遺構と記念の場所

Relics

遺構と記念の場所。

専用軌道の幅は、緑道として残りました。橋は姿を変え、説明板が物語を引き継ぎます。

亀戸緑道公園

水神森〜竪川以北。砂町線の専用軌道跡。

江東区公式

大島緑道公園

竪川以南。同じく砂町線専用軌道跡の緑道。

江東区公式

南砂緑道公園

南砂の専用軌道跡。車輪モニュメント等がある区間。改修計画でも都電敷跡地と明記。

江東区公式

竪川と都電モニュメント

竪川の北詰付近に、都電をあしらったモニュメントと説明板があります。 橋本体(旧・竪川人道橋/専用橋)は2011年に撤去されました。 景色の枠をタップすると、説明板の文面を読めます。

緑道が残った江東と、電車が残った荒川——似て非なる存続の話へ。

次へ:荒川線との関係

Arakawa Line

荒川線は、江東の都電ではない。

いま東京に残る都電は荒川線(東京さくらトラム)だけです。ただし、これは江東区内を走った砂町線の「生き残り」ではありません。

史実ルーツは王子電気軌道

荒川線の前身は、城東電車とは別系統の私鉄・王子電気軌道です。専用軌道が多く、道路渋滞の影響を受けにくかったことが存続の理由として交通局でも説明されます。

通説それでも似ていること

城東電車区間にも専用軌道が多かった、という点では「都電らしからぬ」姿が共通します。江東ではその専用軌道が緑道になり、荒川では電車が残りました。対照として読むと、廃線の意味が立体になります。

荒川線を走る都電車両(江東区外)
荒川線(江東区外)。現存する都電の姿。江東走行ではない。 Wikimedia · CC BY 2.0

対比を頭に置いたまま、江東の緑道を北から南へ歩きます。

次へ:いま歩く

Walk today

いま歩く。北から南へ。

水神森から緑道を南下する一本が、いちばん「都電の幅」を体で感じやすいルートです。

  1. 水神森交差点付近

    小松川線と砂町線が分かれた記憶の地点。京葉道路と明治通りの気配のなかに、緑道の入口があります。

  2. 亀戸緑道 → 竪川

    専用軌道の直線が散歩道に。竪川ではモニュメントと説明板で、橋とチンチン電車の話を確認できます。

  3. 大島緑道

    竪川以南も緑道が続きます。工場と住宅のあいだを電車が抜けた幅を、歩きながら想像します。

  4. 南砂の緑道とモニュメント

    砂町線の南の専用軌道跡。車輪などの記念物が、廃線を「見えないもの」にしない役割を果たしています。

  5. 東陽・洲崎の記憶

    東陽公園前・洲崎は、都心系統と合流した側。いまは地下鉄と街路の風景ですが、路線図を片手に立つと接続の意味がわかります。

歩きたくなったら、出典と権利の台帳で、このページの根拠を確認できます。

次へ:出典・権利・訂正

Sources & rights

出典・権利・訂正窓口。

画像と出典の台帳です。クレジットとライセンスを各図に示しています。

都電砂町線

停留所・廃止日・路線概要の骨子。

Wikipedia ↗

城東電車の遺構

導入向け二次記事。一次へ落とす。

TheNews ↗

廃線探索(参考)

現地写真が豊富。参考リンクのみ(画像は未使用)。

歩鉄の達人 ↗

緑道公園(区公式)

亀戸・大島・南砂の施設情報。

江東区 ↗

画像台帳(仮)

ファイル 内容 出典・ライセンス 許諾
ojima-ryokudo.jpg 大島緑道(砂町線跡) オランウータン / Commons · CC BY 3.0 掲載中
greater-tokyo-1935.webp 1935年大東京交通図 帝國鐵道協會 / Commons · PD 掲載中
kinshicho-1930.jpg 錦糸町・江東橋付近 大東京写真帖 / Commons · PD 掲載中
og-toden.jpg OGP用(1200×630) fukagawa-kinshibori から切り出し 掲載中
tokyo-city-railway-1910.webp 1910年市電線路図 忠誠堂 / Commons · PD 掲載中
tokyo-toden-map-1961.png 1961年頃都電路線図 Hisagi / Commons · CC BY-SA 3.0 掲載中
tokyo-tram-net-evolution.png 都電網進展図 Stef.muc / Commons · CC BY-SA 3.0 掲載中
fukagawa-kinshibori.jpg 錦糸堀〜深川(1930頃) 大東京写真帖 / Commons · PD 掲載中
shin-ohashi-1930.jpg 新大橋と市電 大東京写真帖 / Commons · PD 掲載中
tokyo-tram-1905.jpg ほか 早期路面電車・花電車 Commons · PD 掲載中
tokyo-tram-7506.jpg 7500形保存車 Commons · CC BY-SA 3.0 掲載中
arakawa-2010.jpg 荒川線(対比・江東非走行) Commons · CC BY 2.0 掲載中
pending/* 緑道・竪川・南砂モニュメント 自社撮影想定 準備中
(未取込)OjimaRyokudo.jpg 大島緑道 オランウータン / Commons · CC BY 3.0 候補

公開URLhttps://kotolink.net/hub/koto-history/toden/

権利 — CC/PD素材は帰属表示済み。交通局アーカイブ写真は貸出申請後に追加予定。

調査中 — 電停ピン、1920/1921、バス対応、空中写真の昔今比較。

担当 — 構成・公開:江東リンク/制作:株式会社S-TEKT

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