埋立が先
港湾整備・浚渫土・ごみ処分で水面が陸地になる。町域は造成のあとについてくる。
写真:Wikimedia Commons(豊洲〜晴海の橋/Guilhem Vellut · CC BY 2.0)
Where they meet
生活や交通はひと続きでも、行政区は島ごと・埠頭ごとに分かれます。関係5区は江東区・中央区・港区・品川区・大田区です。下のWeb地図は行政区域のGeoJSONを重ねたものです(海岸線・区界はデータに準拠)。
地図を読み込み中…
背景:国土地理院 淡色地図/境界:OpenStreetMap 行政区域(ODbL)。 説明用の概観であり、公式の行政界の確定図ではありません。
豊洲・有明・青海の一部、海の森など。隅田川口の埋立から、ごみ処分場を含む湾央の島まで広がる。
月島・晴海・勝どき。明治以降の隅田川口改良で生まれた河口側の島々。中央防波堤では当初帰属を主張し、のちに取り下げ。
台場(お台場)など。13号地埋立の帰属調停で港区側が残った部分。中央防波堤でも当初帰属を主張。
東八潮など。13号地では港区・江東区とともに分割帰属。中央防波堤でも当初帰属を主張し、のちに取り下げ。
中央防波堤埋立地の一部(令和島)。2019年の判決で埠頭・港湾関連用地が帰属。
Why it looks unnatural
もともと海だった場所に島を足し、あとから「どの区の地先か」を決めたため、地図上はジグザグに見えます。湾央では関係5区が同時に主張した時期があります。
港湾整備・浚渫土・ごみ処分で水面が陸地になる。町域は造成のあとについてくる。
旧海岸線を海へ延長した線、橋やトンネルの接続、施設の一体管理が境界の根拠になる。
関係5区が同時に主張し、覚書・調停・判決で分割する。生活圏とは別の線が残る。
Three layers
豊洲付近の「不自然さ」は、一回の線引きではなく、時代の違う埋立と帰属決定が重なった結果です。中央防波堤では関係5区が舞台に上がりました。
隅田川口改良で月島・芝浦などが造成され、大正後期から豊洲の埋立が進む。1937年に「豊洲」と命名。1947年、深川区と城東区の合併で江東区が誕生し、豊洲は江東側に定着する。
13号地(台場・青海)や14号地(有明)などを大規模埋立。お台場は一つの島でも港区・江東区・品川区に分かれた。地先延長と交通接続を軸に主張が絞られ、1982年の自治紛争調停で3区への分割が決着した(港区台場・江東区青海・品川区東八潮など)。
夢の島・若洲の次として中央防波堤内側・外側が最終処分場に。当初は関係5区(江東区・中央区・港区・品川区・大田区)が帰属を主張し、覚書に基づき暫定事務は江東区が処理。平成14年(2002年)頃、中央区・港区・品川区が主張を取り下げ、江東区対大田区へ収斂。2019年東京地裁判決で等距離線を基本に、江東約79.3%・大田約20.7%で確定。大田区側はのちに令和島、江東区側内側は海の森となる。外側と新海面処分場はいまも埋立中で、江東区帰属部分は町名未設定のまま「海の森三丁目地先」と暫定表示される。地図で区色が付かない白い陸地は、この現役の埋立先端です。
See it on foot
地図の説明だけでは感じにくい「ひと続きの景色」と「住所の切れ目」を、水際と橋から確かめる短い視点場です。
目の前はひとつの湾岸景観でも、たもとで江東区と中央区が切り替わる。
「お台場」と一口に言っても、住所は港区台場・江東区青海・品川区東八潮などに分かれる。
湾央の人工島は、関係5区が争ったあと、最終的に江東区と大田区の境界として残る。
Notes & sources
本ページは江東リンクの解説です。地図は位置関係の説明用であり、公式の行政界ではありません。関係5区は江東区公式の中央防波堤帰属ページの表記に合わせています。
詳細台帳: images/CREDITS.md
※地図は位置関係の説明用であり、公式の行政界ではありません。外側埋立地の未竣功部分など、細部は公的資料での再確認を前提とします。史実・表現調整中・調査中は混ぜて読まないでください。