TWO WAYS TO OPEN GREEN
同じ緑の土地が、
ふたつの開き方をした。
東側は岩崎家から寄付され、昭和7年に公開された有料の名勝・清澄庭園。西側に隣接する敷地は、昭和52年(1977年)に開放公園として追加開園された。いま「清澄公園」として案内しているのは、この西側の開かれた広場と木立の側だ。泉水と名石を観賞する庭と、芝生に座って空を見上げる公園——隣り合いながら、入り方と過ごし方が違う。
関宿藩下屋敷から岩崎弥太郎による庭園造成へ。明治13年「深川親睦園」(公式の土地の背景)。
関東大震災。一帯の緑が避難場所となったと伝えられる(公式)。※当時、西側はまだ開放公園としては未開園。
被害の少なかった東側半分が岩崎家から東京市へ寄付され、のちの庭園部分となる(公式)。
清澄庭園として公開(公式)。
西側隣接敷地を開放公園として追加開園——清澄公園ページの成立点(公式)。
庭園が東京都指定名勝に(庭園側の事実。開放公園=名勝ではない)。
面積では開放公園側(約4.4ha)が庭園側(約3.7ha)より広い(H27.7.1・公式)。
※歴史の要約は東京都公園協会「清澄庭園」公式案内に基づく。開放公園ページでは庭園の観光ガイド化を避け、成立点(1977年追加開園)と「別の開き方」を前に出す。史実・伝承・推定は分けて読むこと。