FROM THE MOAT
公園の名に残る、亀堀。
深川は江戸期から「水のまち」と呼ばれ、仙台堀川・小名木川・油堀など掘割が入り組んで物資を運んだ。公園の名の由来である「亀堀(亀堀川)」は、仙台堀川から油堀(油堀川)へ続く入堀の一つとされる。埋め立てられた堀の跡地を利用して整備された公園は、南北に細長い形が今も残る。1979年に開園し、2024年3月に全面リニューアルが行われた。
深川八郎右衛門らによる隅田川河口の開拓。深川村が成立し、のちに水運の拠点へ(深川・江東区の通史)。
明暦の大火以降、深川一帯の開発が進む。材木置場や社寺の移転、堀割の整備が加速したとされる(郷土史・水の文化57号)。
仙台堀川北岸に仙台藩の深川蔵屋敷。油堀には油問屋が並び、亀堀は両者を結ぶ入堀の一つとされる(地名・伝承。堀の正確な位置は古地図での再確認推奨)。
河川法改正により「仙台堀」が「仙台堀川」に改称(仙台市・江東区の案内)。
江東区立・亀堀公園が開園(第三者案内:1979年4月1日。江東区公式施設ページでの再確認推奨)。
全面リニューアルが完了。遊具・園路・植栽などが刷新された(現地撮影・深川くらし等)。
門前仲町と清澄白河の中間、住宅地に挟まれた細長い公園。油堀の跡地付近には首都高速深川線が走る。
深川の水運と、亀堀の位置
旧中川と隅田川を結ぶ運河。仙台藩が米などを運び入れた堀で、1965年に「仙台堀川」と改称。現在は親水公園として整備されている(仙台市・江東区公式案内)。
沿岸に油問屋があった堀。のちに埋め立てられ、現在は道路や首都高速などが走る地域とされる(水の文化57号・深川江戸資料館の解説)。
仙台堀川から油堀へ続く入堀の名称として残る。公園の細長い形状は、堀の線形を引き継いだと考えられる(推定を含む)。
園路脇の案内板は、深川の「渋沢商店」などゆかりの地を紹介する。幕末から明治の深川の商いと、現代のまちのつながりを示す(現地標識・2026年7月撮影)。
※歴史の詳細は江東区・仙台市の公式案内、水の文化57号(深川今昔まち歩き)、現地標識、郷土資料に基づく要約。江戸期の堀の位置・形状は古地図での再確認が必要。史実・推定・伝承は分けて読むこと。