FROM CANAL TO PARK
五間の水路が、
細長い公園になった。
「五間堀」は幅五間(約9m)に由来し、竪川・小名木川方面をつなぐ水路の一つだったと、江東区登録史跡「五間堀跡」の解説板に記されている。明治以降の淤塞・埋立・再掘削を経て、昭和期の埋立により水路が姿を消したとする。その埋立地に開いたのが、いまの五間堀公園だ。
絵図に名が見え、明暦大火後の再開発期に開削が進んだとする解説(史跡板)。
淤塞・埋立・再掘削を経て、水路が姿を消していく(史跡板の要約)。
五間堀公園が開園。路傍小公園として子どもたちの運動・安全を目的とした、との開園時パンフレット言及(園内解説板)。
東京市から江東区へ移管され、全区を江東区が管理する旨(園内解説板)。
敷地のおよそ半分が墨田区側にまたがる旨が解説板に記される。管理は江東区立。
面積986.39㎡の細長い街区公園。森下駅至近で、遊具とトイレ・防災標識が並ぶ。
※歴史の要約は園内の史跡板・解説板および江東区公式施設案内に基づく。全文転載はせず、板文の範囲で要約している。開園時平面図の鉄棒・滑台等は当時の記録であり、現況設備と混同しないこと。